山のあなたの雲と幽霊
2018年8月 福田尚代(美術家)
本展では、《袖の涙》シリーズの新作を発表いたします。
《袖の涙》シリーズは、古くから和歌に詠まれてきたような、涙が沁み込み、ときに朽ち
てゆく〈袖〉という媒体への共鳴から生まれました。(※)
拡張した身体であり、此岸と彼岸の境界でもある袖に触れつづける行為は、死者と遺され
た者との関わりに知覚をはたらかせる時間であったとも思われます。
新作では、幽霊という領域に一歩踏み込みました。衣類の袖を綿状にほぐすなかで、袖の
涙から雲へ、雲から幽霊へと、修辞上の飛躍を彫刻的な手法で一息に体感することとなり、
身体感覚に潜む無意識のゆくえに驚いています。
日々の生活では幽霊を信じていないにもかかわらず、制作に没頭する別の空間では圧倒
的に存在してしまう、そんな美術の術についても、あらためて考えさせられます。
また、子供の頃に、遊戯や読書に親しみながら夢想していた〈アズキと幽霊〉〈ソラマメ
と虚構〉をめぐる物語も、ようやくささやかなかたちになろうとしています。ご高覧いただ
ければ幸いです。
展覧会タイトルに含まれる〈山のあなた〉は、カール・ブッセの詩から引いています。幼
い頃、この言葉を誤読したことにより〈彼方〉と〈貴方〉が混ざりあい、山のように遠く巨
大でありながらも実体のつかめない、謎めいた存在と出逢ったのです。言葉の不思議さを味
わわせてくれたこの響きには、あなたとわたしとなにものかが互いに乗り移り、遠大と極小
が入れ子となった幽谷が見えないでしょうか。
(※)同シリーズには、袖に見立てたハンカチにオイルパステルを塗り込めた《袖の涙、あるいは塵をふ
りつもらせるための場所》、古いハンカチを用いて小さな袖を縫う《袖の涙》等があり、「Reflection:返礼—
榎倉康二へ」展(2015年)にて展示されました。
福田尚代《氷山》2018年 ほぐされた衣類の袖、軟膏のふた 12×12×13㎜
福田尚代《Dear Fairy & Fiction :Life Saver》2018年 毛糸、刺繍糸、ハンカチ サイズ可変
福田尚代《山のあなたの雲と幽霊》2018年 ほぐされた衣類の袖 サイズ可変
福田尚代《世界をつなぎとめる糸》2018年 脱色されたハンカチに刺繍 サイズ可変
福田尚代《精霊》2018年 編み棒に彫刻 150㎜
福田尚代《100枚の毛布》2018年 アズキとソラマメで染めたハンカチ、貝ボタン 85×85×90㎜
福田尚代《わたしたち、言葉になって帰ってくる》2018年 コラージュ(部分)
配布用テキスト「雲のしらせ」へ→